「我に返った人」   04.06.06
               ルカ15:11〜24

 イエスさまは、ある父親と息子のことをお話しになりました。
息子は、父親に相続分の財産を要求し、それを受け取り、家を離れ、
放蕩の限りを尽くします。やがて、何もかも使い果たし、食べるにも
困った彼は、我に返り、父親の所にいることの幸いに気づきます。
もう、息子と呼ばれる資格はないと知りつつも、父親の所に帰って
行きます。すると、父親は帰って来た息子に駆け寄り、抱きつき、
大喜びをして迎え入れたというのです。これは、親子関係や理想と
すべき父親像の話ではありません。 イエスさまは、父なる神さまと
私たち人間の関係はこうだとおっしゃいます。

 この息子は、自分の欲望のままに生き、身を崩してしまいました。
ただ、初めから、身を崩すことを望んでいたのではないはずです。
いつの間にか、ずるずると、自分で止める事もできず、身を崩して
いったのです。人が身を崩すのは、いつの間にか起こることです。
父なる神さまから離れて生きる内に、いつの間にか、混乱を深め、
身を崩していく。そんな、弱さと脆さを抱える人間を代表する姿が、
この息子にはあります。

 身を崩したこの息子でしたが、我に返った時に、父親を思い出し、
父親の所に向かいます。これはとても幸いなことでした。人には、
我に返った時に、帰れる場所があるのです。それが父なる神さまの
所です。

 そこにいらっしゃるのは、息子と呼ばれる資格はないと思い込んで
いるその息子を、しっかりと受け止める神さまです。神さまから離れ、
混乱し、罪や過ちを抱えてしまった者を、赦し、迎え入れる方です。
主は、そんな父なる神さまの所に、恐れず躊躇せずに行けばよいことを
示してくださいました。

 私たちは、そのような神さまに、迎え入れていただきました。
 主の十字架によって罪を赦され、しっかりと抱きかかえられながら
生きるものとしていただきました。

 これから神さまから離れる経験をするかもしれない子供たちに、
 また、現在神さまから離れている人たちに、この父なる神さまの
ことを伝えたいのです。